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小島武夫は弱いの?名言から知る麻雀美学や年収など

 

麻雀界の中でもっとも有名な雀士といえる小島武夫プロ。

ミスター麻雀の異名を持ち、常にギャラリーを意識する打ち方を続けてきました。

現代麻雀のセオリーから大きくかけ離れたその打ち筋は人々を魅了し、また常に実力を疑う批判と隣り合わせでもありました。

そんな小島武夫プロの真の実力を、彼が語る名言などから探ってみました。

 

【追記】

小島プロが平成30年5月28日に亡くなられたことが、所属の日本プロ麻雀連盟からお知らせされました。(享年82歳)

ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申しあげます。

 

 

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基本プロフィール


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小島武夫氏は1936年の福岡県博多生まれ。

しゃべりに特徴的な博多弁が出ているのでこれは想像がつきますね。

日本プロ麻雀連盟のプロ雀士であり初代会長でもあります。

 

愛称は「先生」や滑舌の悪さから「ふがふが」など。笑い方から「ガハハおじさん」などとも呼ばたこともあります。

西原理恵子の漫画の中では「おい、ジジイ」などと突っ込まれたりもしていましたが、それでもガハハと笑っていました。

実際には「小島先生」と呼ばれることが多いようです。

 

10代の頃に博多で雀荘デビューしてメンバーとして勤務。

27歳で上京して東京の巨大な雀荘で働き始めました。

このお店に在籍中に競技麻雀のプロになり、雑誌の麻雀クイズ執筆の仕事やTV番組出演を果たします。

この時に披露したイカサマ技が大反響を呼び一気に有名人に。

さらに小説家の阿佐田哲也と出会い、古川凱章らとともに「麻雀新選組」を結成。TVや雑誌でのあおり気味の企画対局でブームを起こし、麻雀タレントとしての地位を不動のものとします。

この頃の活躍は、小島武夫が主人公のモデルになっている漫画「はっぽうやぶれ」(かわぐちかいじ著)でも描かれていますね。

 

 

麻雀新選組の解散後は競技プロとしてなかなかタイトルに恵まれずに「無冠の帝王」と言われていましたが、第三期最高位で念願のタイトル獲得。続く四期も連覇します。

 

1981年には「日本プロ麻雀連盟」を設立して初代会長に就任します。

1992年には第二期麻雀最強戦で優勝。当時すでにベテランの雀士でしたが、その健在ぶりをアピールしました。

以後長きに渡り、プロ連盟の看板雀士として活動を続けています。

 

小島武夫の打ち筋

小島武夫は後ろで見ているギャラリーを常に意識する「魅せる麻雀」を信条としてきました。

広く早くが主流の現代麻雀とは真逆であり、雀力を疑問視する声も多く聞かれます。

ただ、そのような批判の声は今に始まったことではなくデビュー当時からあったようです。

それでも長年自分の打ち方を貫いてきたんですね。

 

迷彩打ち

昭和の時代に流行した打法です。

捨て牌にピンズを散らしてピンズ待ちで和了るような打ち方。

もとは阿佐田哲也が得意としていましたが、小島プロが雑誌やTV対局などでメジャーにしました。

ロスの多い打ち方で、現在では漫画の中ですらほとんど見かけません。

小島プロも今では使っていないようです。

1点読み

相手の待ち牌をピタリと当てる読みのことです。

小島プロの書籍などでは強引な推理で待ちを当てる記述がありますが、これはさすがに無理があります。

しかし、捨て牌を読む技術などが一般的ではなかった時代に、「裏筋」や「間四軒」などの今でも通用するセオリーを公開したのは評価されるべきでしょう。

セオリーを知らない当時のギャラリーには、魔法のごとく当たり牌を止めたように見えても不思議はありません。

手役狙い

小島武夫の打法と言えばこれでしょう。

「魅せる麻雀」の定義はいろいろありますが、小島プロの場合は派手な和了りでギャラリーを沸かせることでした。

昭和時代の小島プロは手役狙いの決め打ちが多く、それが結果的に迷彩打ちにもつながっていました。

今ではそこまで無茶な決め打ちはしていませんが、かすかに見える三色やイッツーなどの手役を逃さないように打つ方針は変わっていません。

 

第三期最強戦の決勝では、満貫の手を待ちの狭いハネ満に変えて和了りを逃しています。

しかし対局後のインタビューでは「次に同じ局面が来たら、また同じように打つ」と断言していました。

 

 

また役満も積極的に狙っていきます。

映像に残っている役満の和了り場面の数は、プロ雀士の中でもずば抜けていますね。

満貫を4回和了るほうが勝率は高いでしょうが、一度の役満の和了りのほうが人々の記憶に残るのは間違いありません。

それが小島プロの選んだ道なんでしょうね。

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小島武夫の年収は?

小島武夫といえば知名度バツグンの麻雀プロです。

当然、収入も並のプロ雀士とは比較になりません。

 

麻雀プロはたとえ団体に所属していても給料をもらえるような立場ではありません。

雀荘や麻雀大会へのゲストやTV出演。本の出版や、最近では麻雀ゲームへの参加なども仕事になっています。プロとしての仕事をした分だけお金を貰えるのでフリーランスに近い存在と言えますね。

もちろん支払われるギャラにも大きな差があります。

長年積み重ねたブランド力のおかげで、小島プロのギャラは今でもプロの中で最も高額だそうです。

これこそオレの唯一無二の財産、と本人は語っています。

 

かつて麻雀ブームの時代には数千万円の収入があったことを明かしている小島プロ。

時代を考えれば信じられない高収入です。

今では年齢からそれほど多くの仕事をこなしているようには見えませんが、ギャラが落ちていないとすると一千万くらいの年収はありそうです。

ただ、いくら収入があっても右から左へすぐに使ってしまいそうではありますけどね。

小島武夫の名言

小島プロは数々の名言も残しています。

麻雀のことだけでなく、無頼派な人生そのものについての言葉もありますね。

平成の世ではなかなか受け入れられにくいかもしれません。

 

天下の小島が千点で和了れるか

派手好きの小島プロはノミ手の千点和了りを嫌います。

かつてはタイトル戦で和了れば優勝という局面でも手役を狙ってテンパイを崩したほどです。

なので、今の若手プロが平たい場面で安和了りをすると「なんにもならない」と苦言を呈する場面も見受けられます。

 

こんな小島プロでも大事な対局で千点の仕掛けをしたことがあります。

第三期最強戦の決勝戦オーラス。

役牌や両面をバタバタと鳴いてカンチャン待ちの千点をテンパイ。

結果、伊藤優孝プロにハネ満を放銃して最強位を奪われました。

和了れば優勝なので普通は当然の仕掛けだと考えますが、小島プロはこの打ち方を後悔しているかもしれませんね。

収入三千万で支出は一億円

その昔、麻雀プロとしてはケタ違いに高い三千万ほどの年収があった小島プロは、銀座や六本木で連日豪遊して一年で一億円近い金額をばら撒いたそうです。

どう計算しても収入と支出が合いませんが、ツケ払いにして飲み続けて借金が大きくなっていく内に、どこかでドカッと印税や大きな仕事が入ったりして帳尻を合わせてきたそうです。

今では眉をひそめられそうな、勝負師らしいその日暮らしの発想ですね。

昭和の銀幕スターを思わせるようなエピソードです。

勝ったのは運、負けた時は実力

どうしても勝負事には運がつきまといます。

負けた時にツイてないとぼやくのではなく、それが今の自分の実力でいい勉強になったと考えましょう。

勝った時は運が良かっただけだぞ、と自分を戒めるべきだという言葉です。

 

いつも自分の不運を嘆いてばかりの人は、心に留めておくといいかもしれません。

小島武夫の孫?

 


日本プロ麻雀連盟に所属する女流プロの小島優さんは小島プロの孫だそうです。

写真右の女性が小島優プロ。

彼女だけ見るとあまり面影は無さそうに見えましたが、二人並ぶとやっぱり似ていますね。

 

小島武夫著「ろくでなし」によると、小島プロには10人孫がいて全員麻雀を打つそうですが、プロになると言ったのは優さんだけだったそうです。

まだ若いので将来どんな打ち手に育つのか楽しみですね。

 

小島武夫の解説への批判

独自の美学を持つ小島プロには昔から「弱い」「勝てない」などの批判はつきものでした。

それは本人もファンも織り込み済みでしょう。

ただ、2011年の十段戦というタイトル戦から起こった批判はこれまでとは明らかに違いました。

 

戦前の勝利者予想インタビューで、当時タイトルを保持していた若手プロの堀内正人氏の打ち方を痛烈に攻撃。

その言葉はかつての小島プロのカラッとした明るいものではなく、ネチネチとした人を不快にさせるものでしかありませんでした。

堀内プロへの文句は三日間に渡る対局中の解説にも続いており、他の解説者たちにまで広がっていきました。

そして決着間近の3日目の最終局に、堀内プロを優勝させないためだけの意味のない和了りが発生。

これを解説陣が完全にスルーしたために、視聴者の不満が爆発して大変な騒ぎになりました。

 

確かに堀内プロの雀風は小島プロの美学とは180度かけ離れています。

しかし、その打ち方を強要することもまた小島プロの美学に反しているのでは無いでしょうか。

今の自身の発言力やかつて自分の打ち方に謂れ無き批判を受けたことを思い返し、このような言動は謹んでもらいたかったというのが正直な感想です。

 

まとめ

小島武夫プロについてまとめてみました。

目先の「勝ち」を拾わずにプロとしての「価値」を追求した生き方と言えますね。

最近では、時代にそぐわない打法や若手プロへの厳しい意見が批判の対象になることも多いですが、だからと言って麻雀プロ第一号として麻雀メディアの礎を築いた功績は失われることはありません。

願わくばかつての明るい麻雀ヒーローに戻って、再びド派手な和了りを見せて欲しいものです。

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