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雀聖 阿佐田哲也の伝説・雀力や桜井章一との関係は?

 


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阿佐田哲也はギャンブル小説で知られる作家です。

代表作「麻雀放浪記」のヒットや小島武夫らと結成した「麻雀新選組」などの企画で、一大ムーブメントを巻き起こし昭和の麻雀ブームを牽引した存在でもあります。

「雀聖」と呼ばれたその伝説的なキャラクターは、自身の小説だけでなく様々な作品で登場しています。

少年誌で連載されていた「哲也-雀聖と呼ばれた男」でご存じの方も多いのではないでしょうか。

また、交友関係が非常に広く、麻雀界だけでなく文壇や芸能界まで多岐にわたります。今聞くと驚くようなビッグネームとの付き合いもあったようです。

ここでは雀聖・阿佐田哲也の雀風や交友関係についてまとめてみました。

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Contents

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阿佐田哲也の麻雀

阿佐田は麻雀小説の中に自分の分身である「坊や哲」を登場させています。

しかし、坊や哲は若さゆえの甘さが目立ち、老獪な雀ゴロたちに手痛い目に遭わされる場面も多く見られます。

無敵の雀士として描かれているわけではないんですね。

 

では、実際の阿佐田哲也の麻雀とはどのようなものだったのでしょう。

ともに「麻雀新選組」として活動した小島武夫は阿佐田との初対面を自伝で語っています。

なんとも言えないオーラを放っている佇まいで、心のなかまで見透かされそうな眼光をしていたとか。

また、打牌の音が印象に残ったとも語っています。

当時は麻雀卓の材質が悪かったので、いい音を立てて打牌する人はほとんどいなかったそうです。

 

二人が出会ったのは卓数200を超える巨大な雀荘です。

その大勢の客の中でもやはり阿佐田は際立った存在だったのでしょうね。

運の奪い合い理論

よく麻雀を語る時に、何割が運で何割が腕のゲームだ、などと議論になります。

しかし阿佐田は、麻雀は運10のゲームだ、と断言しています。

自分の持ち運10を12にしたり相手の10を8にしたりして勝つ。

この運の奪い合いが阿佐田哲也の根本的な勝負理論で、麻雀だけでなく他の競技にも使っています。

 

この数字は単純に麻雀内の出来事で増減するだけではなく、卓外の事柄でも左右されるとか。

極端な話、麻雀を打ちに来る前に嫁さんとケンカして出てきたら、それだけで10が7くらいにはなっているんですね。

 

現在のデジタル雀士はもちろん、流れを重視する打ち手とも異なる考え方です。

異能バトル漫画のルール設定を思わせます。

迷彩打ち

捨て牌に仕掛けをして相手の放銃を誘う迷彩打ちを好んで使っていました。

これも運の奪い合いのための戦略ですね。

ツモ和了りは自分のパワーを1消費するが、相手が振り込むと1奪うことができる、というのが阿佐田の考えです。

 

なるほど……わからん。

手役狙い

阿佐田哲也といえば純チャン三色のような手役を強引に狙う牌譜も数多く残っています。

小島武夫も手役を狙いますが、それは生来の派手好みとギャラリーを意識してのことです。

 

阿佐田が手役を狙う理由は「麻雀名人戦自戦記」などで明かされています。

簡単に言うと、手なりで進めてリーチをかけざるを得ない状況になるのを避けるためだそうです。

当時の競技麻雀ルールは一発裏ドラ無しが当たり前で、リーチは威力が少ない割に標的にされやすかったためですね。

ルールに合わせた戦略をとっていただけだ、と。

決して大物手をガメッていたわけではないようです。

 

 

阿佐田哲也の麻雀を簡単に紹介してみました。

こうした内容は「Aクラス麻雀」(阿佐田哲也著)などに詳しく記されています。

現代の麻雀戦術として役立つかは微妙ですが、筆力が高いので面白く読めることは間違いありません。

雀聖の交遊録

阿佐田哲也の周りには多くの人達が集まっていました。

麻雀メディアの発展のために尽力しただけでなく面倒見も良かったので、生まれたばかりの若い麻雀プロたちにも慕われていました。

作家やタレントにも知り合いが多く、締め切りが差し迫っている時でも遊びの誘いにホイホイ出かけてしまう様子がエッセイなどに記されています。

とにかく断れない性格だったようです。いますよね、こういう人。

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麻雀関係の知り合い

麻雀関係でよく名前が出てくるのは、麻雀新撰組の仲間である小島武夫と古川凱章の二人ですね。

後に入隊した田村光昭と青柳賢治とも親しくしていたようです。

 

日本麻雀道連盟という団体の川田隆プロや灘麻太郎プロとも交流がありました。

灘プロは日本プロ麻雀連盟の元会長です。

同じくプロ連盟に所属している荒正義プロのことについてもエッセイで触れています。

当時大勢いた若手プロの中で、荒プロ一人だけを「なんとか麻雀タレントとして通用しそうな若者」と称していました。

現在までの荒プロの活躍を見れば、その慧眼に驚かされますね。

 

作家の畑正憲やジャーナリストの大隈秀夫とも付き合いがあったことが知られています。

二人とも麻雀プロではありませんが当時の麻雀界には無くてはならない存在でした。

大隈秀夫は麻雀の「守りの神様」と呼ばれていました。

畑正憲は現在のプロ連盟の相談役を務めています。

桜井章一との関係は?

気になるのは雀鬼・桜井章一との関係性です。

桜井章一が主人公の漫画「ショーイチ」では阿佐田哲也と付き合いがあったと描かれています。

阿佐田が桜井のことを「本物のプロ」と評価する場面もありました。

 

ただ、阿佐田哲也の書いた本の中には桜井に触れた記述は見つかりません。

小島武夫の著書で阿佐田、桜井らと麻雀を打った内容があることや、映画「麻雀放浪記」の牌技指導に桜井を抜擢していることなどから、何らかの付き合いがあったことは伺えます。

しかし、雀聖が雀鬼をどう評価していたかは不明なままです。

 

阿佐田哲也は小島武夫や古川凱章を麻雀プロではなく麻雀タレントと呼んでいました。

ひょっとすると、表舞台に立つ麻雀タレントと桜井のような裏プロとをハッキリと区別していて、書くことを控えていたのかもしれません。

文壇や芸能人との交友関係

阿佐田哲也は色川武大という名前で純文学を発表していました。

ギャンブル小説が先に売れてしまいましたが、むしろそっちが本職で数々の文学賞を受賞しています。

作家で食べられるようになる前に「雀風子」や「七対子」という名前で雑誌に麻雀コラムを連載。

さらに、徹夜明けで「朝だ、徹夜だ」という一言から生まれた「阿佐田哲也」の名前で麻雀小説を発表します。

その後、麻雀放浪記のヒットや色川武大として文学賞の受賞へと続いていきます。

とりあえず、ペンネーム雑すぎるでしょ……。

 

作家になる前には出版社に勤めており、その頃から文壇関係者とのつながりがあったので作家の友人も大勢います。

藤原審爾を人生の師匠と仰ぎ、その麻雀の強さも認めていて作中で紹介するほどです。

友人としてエッセイによく名前が上がるのは吉行淳之介や五木寛之。本の挿絵を描いてもらった漫画家の黒鉄ヒロシとも仲が良いことで知られています。

 

他にも井上陽水や内田裕也などのミュージシャンとも付き合いがありました。

漫画家の福地泡介とは、「麻雀新撰組」に「麻雀鞍馬天狗」として挑戦してくるようなシャレのわかる間柄だったようです。

また、若かりし頃のタモリや赤塚不二夫も遊び仲間として有名です。

怪しげな店で二人が裸で踊っているところに阿佐田も乱入したとかしないとか。

どんな遊び仲間だよ……。

まとめ

麻雀の神様、阿佐田哲也についてまとめてみました。

非常に求心力のある人物で彼の周りには常に多くの人々が集まっていたようです。

その魅力は彼の作品にも色濃く現れています。

漫画だけで阿佐田(色川)小説に触れたことがない方は、ぜひ一度呼んでみてください。

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