昭和時代の有名雀士・田村光昭プロ。
かつては多くの書籍を出版したりゲームになったりと派手な活動をしていました。
現在、麻雀界からは距離をおいているようで、知名度の割にはあまり情報が表に出てきません。
そんな田村光昭プロについてまとめてみました。
[ad#co-2]Contents
プロとしての実績は?
1972 第1期東スポ王座杯
1978 第2期最高位
1980 第5期最高位(※)
田村光昭プロが獲得したタイトルは3つ。
少なく感じるかもしれませんが、今のように麻雀のタイトル戦がいくつもある時代ではありませんからね。
プロとしての活動期間を考えれば十分な戦績だと思います。
ちなみにこの頃には、プロ協会はもちろんプロ連盟すらまだ設立されていません。
麻雀プロはみんな(基本的には)最高位戦に所属していた時代ですから、最高位になるというのはプロの頂点に立ったということです。
東スポ王座は第2期に灘麻太郎プロが、最高位の3.4期は小島武夫プロが獲っています。
この顔ぶれを見ると、田村プロの戦っていた世代がなんとなくわかるのではないでしょうか。
小説・麻雀ブルース
田村光昭プロは「麻雀ブルース」という小説を出版しています。
執筆されたのはまだタイトルを獲る前のことで、月間近代麻雀で連載されていたものです。
日本全国を旅打ちする様子が描かれた短編モノで、当時の若い読者に絶大な支持を得ました。自由な生き方をする田村プロに憧れる若者が多かったんでしょうね。
小説の形で出版されていますが、私が読んだ限りではコラムや旅のエッセイのように感じました。
麻雀そのものの記述があまり多くないんですよね。
阿佐田哲也の麻雀小説のようなものを期待して読むとがっかりすると思います。
田村プロは漫画にもなっています。
内容は(脚色されているでしょうが)自伝的なものです。学生運動のことから旅打ちやプロでの戦い、麻雀新撰組のことにも触れています。
こちらは闘牌シーンも充実しているので面白く読めました。
タミーラの麻雀クイズ
田村プロはかつて近代麻雀誌上で「タミーラの麻雀クイズ」という連載を持っていました。
タミーラというのは田村プロの愛称ですね。
かなりの長期連載で、2011年頃まで続いていた記憶があります。
見開き2ページにふたつ例題と本題の牌図が載っていて、現在連載中の福地誠「実戦に出る100の基本!」と同じようなレイアウトでした。
クイズは実戦形式の何切る問題と和了り形当ての2パターンがほとんど。
近麻では珍しく賞金付きのコーナーでした。(他はたいてい賞品)
難問クイズと銘打たれていましたが、その内容は真面目に考える気がしないものでした。
例えばリーチがかかった局面の何切る問題。
比較的安全そうなスジの牌を選んだら、それがアタリだった牌図を見せられて不正解。かと思えば似たような問題で、自分が勝負手なので危険牌を選択するとこれまたズドンで不正解、みたいな。
その答えに参考になるような(デジタル・オカルト無関係で)セオリーは無く、ただ結果論だけで○×を付けているような問題ばかりでした。
田村光昭現役時代を知らない私としてはこの連載のイメージが強すぎて、あまり田村プロの実力を高く評価はしにくいですね。
今となってはあのクイズをちゃんと本人が書いていたかもわかりませんが…。
ファミコンソフト「田村光昭 麻雀ゼミナール」
田村光昭プロの名前を冠したファミコンソフトも発売されています。
「田村光昭 麻雀ゼミナール」、1990年のファミコン全盛期の時代のものですね。
麻雀を打つゲームではなく、何切るクイズが収録されているソフトです。
子供時代に親に買ってもらったカセットがこれだったら、本気で泣き出しそうです。
動画を見てもらえればわかるように、クイズの内容はツッコミどころ満載です。
現代では(当時でも)この打ち方は通用しないでしょう。
タイトルの「ゼミナール」という言葉は80年代に一世を風靡したNHKの「クイズ面白ゼミナール」の影響を受けたと思われます。
田村光昭プロの実力は?
批判的なことばかり書いてしまいましたが、時代的なことを考えると仕方のない面もあります。
この当時はいわゆる「重厚な打ち手」が大人気。手役を狙って華麗な和了りを決めるのが麻雀プロの花形とされていました。
田村光昭プロの打ち筋を見ると、この時代には数少ない実利を追い求めるタイプだったようです。
安手でちょこちょこ和了り、モロ引っ掛けリーチもバンバンかけていました。
現代風のこういう打ち方は、書籍やゲームにする際にはウケが悪かったでしょう。どうしても販売元の意向に沿った内容で制作せざるを得なかった背景もありそうです。
もちろん田村プロの実力を高く買っている意見もあります。
田村プロに初めてお会いしたのは、30年以上前の麻雀新撰組が大人気だったころ。新撰組の一員だった田村プロに、高田馬場の麻雀大会のゲストをお願いしたんです。
たくさんの麻雀腕自慢が田村さんに挑戦するんですが、やはり田村さんは強かった。当時は重厚長大な麻雀が人気で、ファンもそれをマネしていたんですが、田村プロはすでに現代風にスピード麻雀だったんです。
銀玉親方・山崎一夫氏のブログから。
この人も昔から、勢いや流れにとらわれない実戦的な麻雀コラムを連載していたので、既存のプロとは違った田村プロの打ち方に相通じるものがあるのかもしれません。
[ad#co-1]麻雀新撰組
かつて阿佐田哲也氏・小島武夫プロ・古川 凱章プロが結成して、昭和の麻雀ブームの火付け役となった麻雀新撰組。
この集団に田村光昭プロも加わっていました。
3人に比べると後輩、若手プロという立場になりますね。
参加したのは新撰組が解散する間際の頃だったので、活動時期はさほど長くありませんでした。
この時期の田村プロについては小島武夫 著「ろくでなし」にも書かれています。
小島プロからすると、新人類とも言うべき田村プロの考え方や勝ちを拾いに行く雀風など、麻雀プロ観や性格に受け入れにくい点が多かったようです。
文章からあまり仲が良くなかったことが伺えます。
第5期最高位戦の見逃し事件
田村プロが獲得した第5期最高位の決勝戦で、麻雀界を二分する大きな事件がありました。
簡単に説明すると、トップを走る田村プロを狙い撃ちするために下位の選手が当たり牌を見逃したというもの。
現代のタイトル戦を見慣れている人間からすると当然の戦術にも思えますが、見逃された選手と親しい間柄であったことから話がこじれて大問題の八百長事件となってしまいました。
結局試合は途中打ち切りで、そこまでのトップ田村光昭プロが優勝という後味の悪い結末を迎えました。
先に紹介した小島武夫著「ろくでなし」に事件の見解が記されています。小島プロは見逃した選手に同情的な意見です。
また、阿佐田哲也著「ぎゃんぶる百華」には阿佐田氏・田村プロの意見も書かれています。
要約すると、田村プロ曰く「見逃しなど百も承知」で、阿佐田氏も主催者の判定には懐疑的だと述べています。
それなのに何故こんなに大事になってしまったのか、理解に苦しみます。
最高位戦の見逃し事件について詳しく書いた記事はこちら
田村光昭プロの現在は?
田村光昭プロは最高位戦の事件の後、徐々に麻雀界から離れていきます。
漫画「田村光昭伝」が描かれた時にはすでにプロとして第一線からは退いていました。
私が麻雀に興味を持ち始めた頃にはプロ活動はすでに行っておらず、知ることのできた活動といえば近麻に連載されていたクイズくらいでしたね。
プロを辞めてからはマカオのバカラにはまっていたようです。
何を生活の糧にしているのかは不明ですが、現在のツイッターを見ると政治的な意見をリツイートしていることが多いようです。若いころからの反体制的な考え方は変わっていないようです。
別に他人のイデオロギーにあれこれ言うつもりはありませんが、もう麻雀の世界に戻ってくる気が無さそうなところを見ると一抹の寂しさを感じますね。
まとめ
田村光昭プロについてまとめてみました。
知名度の割には映像や牌譜もあまりないので、真の実力は今ひとつわかりかねますね。
ただ、かつては批判の対象だった実利的な打法も、今では評価される可能性は十分あります。
まだお元気そうなので、公開対局の一つもしてもらえると非常に盛り上がると思いますが…難しそうですね。